それは徳なのか

昨日の叔母と母の様子のようなことを、生まれてからずっと変わらず見てきた。

母の喧嘩相手である兄・姉・妹、どの相手になっても、その内容は私にとってはどうでもいいことだらけで、姉妹がいるだけいいじゃん、そういうやりとりができるだけいいじゃん、と思ってる。

そして心でずっとくすぶっていた気持ちを、ここ数年で言葉にできるくらいレベルアップした。

叔母は某宗教の信仰者で、それは祖母の代からずっと続いているみたい。宗派とかさっぱりわからんし、興味がないからいくら聞いても右から左に受け流してるんだけど・・・

叔母と祖母は、私が子供の頃から毎朝毎夕お寺に行って(祖母の家の裏がお寺だから)お参りをしてお経を読んで、ってするくらい、日々の習慣にしてる。私も良く一緒に行った。たいくつでしょうがなかったけど、祖母や叔母が一生懸命お経を読んでいる姿を見ていた。

1年中お寺に通う理由として、叔母は良く「徳を積む」と言っていた。お寺までの道すがらで何か起きると率先して手を差し伸べていた叔母の姿を、子供の頃良く見てきた。

道端で小さい子が転んだら、駆け寄って手助けしたり、お年寄りがふらふらした足取りで歩いていると声をかけたり、道に迷った人だとわかると、目的地まで一緒についていってあげたこともあった。いわゆる体施だ。

それは確かに素晴らしい行為だと思う。某宗派では、善き行いをすることで来世で幸せな人生が送れるという教えを説いている。

こうやって目に見える徳でなく、相手からの見返りや礼を求めない善行も徳であり、どちらかというとそっちのほうが私にとっては価値が高いと感じる。

どの宗派も、徳を積む教えというのは一貫して同じで、その目的も同じだ。そう感じるようになったのはずいぶん経ってからだ。だから宗派を選んでも意味がないと感じてるのかもしれない。

私が子供の頃通った教会学校での学びを、父や叔母に話す機会があった。私は勝手に宗派が違うからと話すのを戸惑っていた。後々教えている事はだいたい同じだというのがわかった。

人としての善き行いに宗派は関係ないわけで、あの宗派だとここまでやると徳になる、とかってくくりもない。

人としてまっとうに生きていくための道しるべが宗教の存在意義だと思うから、心のよりどころであるものが自分の中にあれば、宗教信者にならなくても良いのではないかと考える。

そしてもう一つが一番思っていることだ。

叔母は常に、徳を積んで生きていく事にこだわっている。自分の身体が酷く調子が悪くても。

私の父のお墓参りについて、私と母が行かない事を母が気にして叔母にいつも話しているのは知っている。するといつの間にか叔母がお墓の掃除をしてきてくれていた。これまでもそうだった。特に今年の春先は、私が完全にダウンしてしまったので、母が叔母に頼んだのを後で知った。

叔母はいつも私たちが買うよりも高いお花をたくさん飾り、率先してお墓掃除をしてくれる。それはありがたい。いつも感謝はしてる。

ただ違和感はある。「そろそろお彼岸でしょ、いつ行くか教えて」ならまだしも「まだ行かないの?」「行かないなら私が行くけど」となってくると、話が変わってくるように感じる。

そもそも父は無宗派で、お墓すらいらないと最期まで言った人だった。それを両親族が許さずに、散骨葬はお流れになった。父は生前も毎月の墓参りはどうでもいいことと言っていた。

つまり、父の気持ちを無視した行き過ぎた行為は徳なのか、というのが私の叔母たちに対する気持ちで、叔母の行為はただの自己満足なのではないかという疑問しかないのである。母も同じだ。月命日にこだわってるけど、それも自己満足だと思う。

叔母は、自分の身体や経済状況がどうであれ、人のために尽くしている。特に母に対しては、自分の身体が動かなくても、がんに侵されていても、母のためにいろいろなことをしている。あんな我儘で甘ったれで無病なのに動かず自活能力のない母をほっとけないという姉妹愛だ。

母はそれを当たり前に思っている節もたまに見られるのが気になる。妹なんだから当たり前とかなのかな。よくわからんけど。

私たちが望んでいない事をするのは、徳を積んでいることにはならないと思う。だって私だけでなく肝心の父が望んでない。

父が周りに気を遣ってとか、遠慮してとか、そういう話じゃない。父は宗教に頼らずとも、自分が信じるものがあって見返りを求めずに人のために動いてきた人だ。

だから死んでから何日目がどうのこうのとか、毎月お花を飾ってお線香を焚くという行為自体になんの価値も感じないのだ。

そのあたりを母も叔母もわかってない。いくら話しても聴く耳を持ってない。そうやって私が傷ついているのに、それでもなお続ける行為は、絶対に徳ではない。

ましてやコロナ禍で、何度も電車を乗り継いで、集団でバスに乗って霊園へ行くのって、今しなくてはいけないことではない。

不定期だけどこの手の話が、1年の中で出てくるし、叔母と母の姉妹喧嘩の愚痴も、年々エスカレートしている。

みんな年老いて、気が立ってしまうことがあるのは否めない。姉妹同士でうまくやってほしいと思うばかり。

だってそういうことがあろうがなかろうが、私が一人っ子で、いつも一人でいることに変わりはないんだから。