まいったまいった

ま、こんな日もあるよねってことで。今日はいつも以上に唐突にオチなしで書きなぐる。

さかのぼれば物心ついた時から、私の中での母親は、親というよりも違う存在になってた。友達にもなれないし、尊敬も出来ないし、恨み辛みばかりが溜まっていって、膿を出せないまま大きくなった。

私がとてもデリケートな性格なのもいけないんだろうけど、子供の人格形成はだいたい小学校低学年くらいで出来上がるという話があるように、私が嫌だった体験と記憶は、そのあたりのが多い。だから、デリケートな性格になった要因は、親しかない。

父は仕事中心で子育ても何もかもすべて母にまかせていた。一切関与しないでいたという感じ。

母は子供みたいな人なので、眠ければ寝るし自分が食べたいものしか作らないし、基本出来あいを買ってくるタイプなので、母の手料理で想い出になるものがない。

しつけというより、自分が気に入らない事があると、すぐに私の頭を叩いた。口より手が早く出る人で、すぐ怒るし、すぐ叩くし、だから昔は何をしたら叩かれるのかという事しか考えていなかった。だから、物事とか身の回りの善悪はずいぶん後から知った。

出かけるのが嫌いで、友達もいなくて、いつも家でゴロゴロ。朝に父を送り出すと私の食事は瓶などに入っている佃煮とかを出して、母がいつ食べるのか知らなかった。

深夜に洗濯をして疲れて座椅子で朝まで寝る生活を、60歳近くまでしていた。今でも昼夜逆転の生活なので、無理に身体を動かしているから、昼間の営業中に買い物へ行った日は、すこぶる機嫌が悪い。

日曜に父がいると、お昼過ぎまで寝ているので、起きてからレストランで外食。または私が作っていた。私と父で食べて、母はその後に食べる。みんなで一緒に食べようって何百回言っても叶わなかった。夕食もそうだった。食事は3人揃うのは外食の時だけだった。だから外食が好きだった。

買い物は週1くらいの父がいる日にしていた。まとめ買いで足りないものが出ると、4歳の頃から私がおつかいに行っていた。今でも忘れられない。

自分は足が痛くて4階建ての集合住宅の階段の上り下りがきついから、でも4階しか空いてなかったからしょうがなく住んでいるんだと言っていた。先にお店に電話をして、取りに行く時間と私が行くことを伝えている場面は良く覚えてる。知らない大人に「〇です(苗字)」って言うのすら苦痛だった。ちなみに、脚は病気は何もない。ただ偏平足ですぐ疲れちゃうから、歩くのが嫌なのだ。

お店に行くのは、アポなしの時もあった。「今日はもうご飯作らないから、お肉屋さんへ行って〇を〇個買ってきて」と言い、何度も母からシミュレーションを指導されて、でもお店でうまく言えなくて泣いた日も多かった。結局お店の人が母に電話をして注文を聞くことになった。そうなると帰宅してから怒られた。言いつけもできないなんてダメな子ねって、それでも怒りが治まらない時は、時々叩かれた。

いつも足が痛いと言っていたので、子供なりに何とかしてあげたいと思っていた。未だに伝わらないけど、私なりに気遣っていた。

小学校高学年の頃、一緒に乗った満員のバスの中で1席空いた時に「空いたよ」って教えたら「あんたが座りなさい」と言ったけど、いつも痛いとばかり言うので「いい(座らない)」と母に座らせようとしたのに、母は座らなかったばかりか「なんでよ!じゃああんたはこの先ずっと座るんじゃないわよ!!」と言い放った。車内に母の声が響き渡った。その後、満員の車内で誰1人空いた席に座らなかった。

何年も前に、親族の集まりがある日に、私が駅での待ち合わせ時間を間違えてしまい、母を1時間立たせっぱなしにしてしまった。悪意は全くなくて、ただ勘違いしていただけだった。ものすごく責められるかと覚悟して一生懸命謝って、その後会った時も謝ったのに、それを母は覚えていなかった。

ついさっき「もし逆の立場だったら、どう思うか考えなさい。いつか言おう言おうって思ってたけど、あの時年寄りを長時間立たせっぱなしにして、それで帰り道は何も言わないで、人間ってたとえ親が相手でもそういうもんじゃないでしょ。あんたが同じことされたらどうするつもりなの」と、驚きすぎる事を言われてしまった。先に謝って言い訳をしなかった事は覚えていなかった。ショックだった。あんなに謝ったのに・・・

言い訳をせずに謝った事を、私なら評価していたと思う。あれこれ言い訳するくらいなら、とにかく謝って、相手が聞いてくれそうとか、理由を聞かれてからようやく言えるような内容だったしね。だって、間違えただけってのにそれ以上の理由なんてないもん。

だいたいこうやって昔話を蒸し返されるのには、私にも非があるのだろう。母の中の地雷を踏んじゃったんだろうね。よくわからないし、聞いても答えないから一生分からないけど、もうそれでいいって思ってこの10年過ごしてるんだけど。

今日はただ、母が大好きなうなぎのセールがあったので、代わりに買ってあげようと思って(通販だから)受取日をどうするかを聞きたかっただけなのに、また2時間半も電話しちゃった。途中からは本当にどうでもいい事ばかりで、今日は仕事がいっぱい残ってるし、電車が止まって仕事が滞りそうになって、結構大変だったから少しでも早く仕事をしたいって先に伝えていたのに、このありさまなのだ。

人の話を最後まで聞かないだけならまだしも、自分だけがかわいそうだと思っている事とか、自分がどれだけ独り暮らしを頑張っているのかについて話しだすと止まらない。

どれだけひいき目に見ても、私は母はとても恵まれていると思うのに、世界中の不幸を背負っていると思っている母が、とても哀れで、そのまま死んでほしくないって思っても、まったく伝わらない。

B社のドクズは、言動がうちの母にとても似ている。だから余計に私は双方に対して腹が立っていると、最近気づいた。

言葉尻だけで意味や前後の流れを考えずに、勝手に悪く受け取って怒り狂う様子は、激似すぎて、この前は出るはずがない場面なのに、職場でじんましんが発生してしまった。

さっきの電話でも母は、たった一言の単語だけで、怒り狂ってしまってびっくりした。年を取ると理解力も落ちるのかと学習した。私もそうなっちゃうのかな。私もそうやって相手を悲しませたり傷つけたりしちゃうのかな。

同じ話ばかり繰り返しては怒るので、なだめるように「もうわかったから」と言っても話を止めず、無限ループに入ってしまう。

さっきはその無限ループ中に辛くて泣いてしまった。

私はただ、自分の生活のために外で頑張ってる。専業主婦の母にはわからない苦労もしてきたつもりだ。この年代で、バツのある女性が自活する事の大変さは、母にわかるはずはない。こういう確執を知らない人からは「そんなに大変なら一緒に暮らしたら」と良く言われるけど、お互いの為を思ったら少し距離があるほうがいい。一緒に暮らしたら私は数日で精神崩壊してしまう。母もそれはわかってる。「あんたとはうまくいかない」とも言われている。

泣いてるのがばれないようにしていたけど無理で「そういうのが本当に嫌なのよ!!泣けばいい話じゃないでしょ。だいたい親が話してる時に泣くなんて、傍から見たらどう思うのよ、感じ悪い」って言われた。感情のコントロールが外では出来るのに、親の前では一切できない。ていうか、誰も見てないし、見せらんないでしょう。

世間体を激しく気にして、外面ばかり気にする見栄っ張りさも、なんだかんだで見た目が全てだと信じているところも、昨日のドクズの様子で母がフラッシュバックした。

数か月前、母が亡くなった時の脳内シミュレーションをした。わざわざしたというより、自然に頭の中で考えていた。これだけ書いたら相当な親不孝の娘になるだろうし、いわゆる炎上とかってのもありそうだけど、ここしか吐き出せないからあえて書く。

父の時はただ必死だった。自分の身体のことしか考えず、何もしない母の分まで、親族一同のプレッシャーの中で、みんなに満足してもらう事しか考えてなかった。

母の場合のそれは違う。きっと私は淡々と手配をする。ウソ泣きは得意じゃないけど、たぶんできそうな気がする。見送る時に育ててくれたお礼はしっかり伝えるけど、同じくらいの苦しみをくれた事も伝えると思う。そして、月命日など優先しない。

周りの友達や知人の母親が本当に羨ましい。一緒に買い物へ行くとか、定期的に食事をするとか、旅行に行くとか、何気ない話をするとか、子供を励まし続けるとか、そういう私たちにはない関係性ばかり。

ないものねだりは良くないと思うけど、生まれてからずっと、一番身近にいた大人に影響されて、その影響をもろに受けて数々の失敗をしてきた今の私は、こんな年になっても、いまだに母親と楽しい思い出を作れない事が悲しい。私なりに努力してみたけど、お手上げなのだ。

新婚旅行でハワイに連れて行った時もそうだった。海外でどこへも出かけたくないとダダをこね、ホテルの部屋の掃除があるからと無理矢理連れ出し、車の中で旅行に対する文句ばかり言う母に黙っている当時の夫と父と私の3人。そんな日を2日間耐えた。

たまりかねて3日目に、私が部屋で爆発した。折角の大事な旅行なのに、自分勝手も甚だしい、いいかげんにしてくれと言った。そんなにどこへ行ってもつまらないなら、じゃあ帰ればいいと言ったら、親不孝者とどなられた。父は母をなだめきれず、私に「もう黙ってろ」と言っただけだった。

子供の頃は毎年夏休みになると、父の会社の保養所へ行っていて、その時も母は観光がきらいで、何を見ても何を食べても興味を示さず、気にしているのは自分がその時着ていくために新調する服の事だけだった。それを中学校卒業までやってた。だから旅行での楽しかった思い出は、父とのものしかない。

さっと文章化できるのはこんな事だけど、何万文字打っても足りないくらい。根が深すぎる。私は見る人によっては酷いんだろうし、同情されるつもりもない。

解決できない悩みは、悩むだけバカみたいだと開き直ろうとして、無理に言い聞かせて過ごしているだけだから、たまにこうやって吐き出さないと辛いのでしょうね。

こんな風に思っているから、きっと母は、めちゃくちゃ長生きする。悩みというほどの悩みがないから、無理に何か悩もうとして、私をすぐに例に挙げては、叔母たちと話しているという報告をわざわざする。

叔母たちが言っていた事も、たぶんすべてじゃないだろうけど私にいちいち話す。姉妹がいない私に、姉妹喧嘩の愚痴を全部話そうとする。あんたしかこんなこと言えないというのが母の口癖だ。

今日はそういういろいろなミックスが押し寄せて、もう本当に限界だった。つい「もう勘弁して」と言ってしまった。うっかりすべってしまった。で、さらに母を激昂させたようだ。

すべてがうまくいかない日が、今日だった。ただそれだけのこと。

そして、私の寝不足も、私の仕事も、すべては自己責任として自分でどうにかするしかない。明日も最悪だ。だいたいこの時間になっても起きてるんだから。やりきれない。

私はそうやって、それでも一人で生きていくから、貴女もそうして。自由に生きていいから、子供の事なんて考えないで、自分の人生だけ考えて、って、これまで何度も言ったけど、まったく伝わらないんだよね~「そんなことできるわけないでしょ」って、何もしないくせに、頭の中で考えてるだけで、行動に一切移さないのに、そして文句だけ言ってるのに、いつも言ってる。これもドクズと全く同じで悲しくなる。

そんな血が私に半分流れてるんだなぁ。親を選べないもん。しょうがないもん。私と母の性格はまったく似ていない事だけが救いなのかな。

すべて嫌になる日が、もう縁切りしたいって考える日が、何年かの周期でくる。この頃その周期は早まっているみたい。

因果応報、もしかして、そんなに私は周りの人たちを傷つけているのだろうか。もうわからない。ただ、こういうのが繰り返されるのが辛くて逃げたいのに逃げられない。いつになったら終わるのか、終わりたいって思ってる。

 

2019.10.10 2:00AM