吐露

昨日母と話している時に、信じられないストレスを感じてしまって、その場で絶句して、そのあと自分でも驚くくらいに怒り狂ってしまった。

昨日の昼間、頼まれた買い物の荷物を抱えて歩いている時、なんて言っていいのかわからない気持ちがした。強い日差しでも、荷物のせいで日傘がさせなくて、汗をだらだらかいて歩いている自分がいやになった。

たぶん、体調のせいというか薬の副作用もあって、暑さに対する耐久力が普段以上に低くなってるから、より暑さに我慢ができないみたい。

薬のせいにしたいけど、自分でももうわからない。全部暑さのせいにできたら、いくらなんでも暑さは落ち着くはずだって、あと少しの我慢だって言えるのに。

今までの母に対する40年間くらいの我慢の蓄積と、老いて不自由な生活をしている割に性根がまったく変わらない様子を目の前にして、どこまで苦しめられるのかという恐怖に似た気持ちを感じている。

少しでも気分転換をしようといろいろと試みているけど、ここ数か月は常に母のことが頭にあるから集中できない。本業をしている時だけ忘れられていたのに、コロナ禍で仕事がなかったからそれもできなくて、ずっと等身大の自分で24時間いた。

それでも無理矢理、いつも無理矢理、楽しいことに目を向けて、少しだけでもいいから現実から逃げたいって思ってる。でも、この頃それがきびしいと感じている。

何をどうしたら良いのかもわからない。私一人で何でもしなくちゃいけないって思ってきたけど、なんとかできるって思ってきたけど、それもできていない。

母方の親族は、私が同居をするまでしつこくプレッシャーをかけるんだろうな。子供が親の面倒を見るのはあたりまえで、断る理由などないと言い切るんだから。B社でも言われて、どうして余計なお世話な話をされるのか理解できない。

小さい頃から苦しめられてきたのに、「老いたから」という理由だけで、すべてを許して母親へすべてを捧げられないからなのに、私たちの関係性を知らないから、私がいつも悪者になってる。

母親があの人じゃなかったら、きっと私は今頃心から献身的でいると思う。他人には心を許して、尽くして、利用されて、痛い目にばかりあっているのに。それでもまた、自分が大事にしたいと思う人には、いつも心から心配するし、心から何かしたいと思う。母に対しては抱いたことのない感情は、いつも他人から得てきた。

どんなに直接本人に訴えても、聞いてはもらえなかった。親族もそうだった。母と一緒に過ごしてきた時間に何があったのかを知らないくせに、「でもあんたは子供なんだから」とか「あの子(母)はそんな人じゃない」とか、自分の姉妹だからかばっていた。口ではいろいろ言っていた叔母でさえ、ここ数年は変わってしまった。

そのたびに「かばってくれる人がいていいな」「姉妹がいるっていいな」ってひがみに近い気持ちでいた。今もそう。

味方が誰もいない中で、誰にも頼れなかった中で、どんな思いで成人したのか。わかってくれる人は誰もいない。成人式の日にさえ、叔母の家で言い争いになったのに。

今、私、ちょっとやばい。別に命絶とうとかそういうのじゃないけど、自分の感情がかなりおかしくなってる自覚がある。

これまでも迷っていたけど、いよいよそういうのを観てくれる病院へ行くべきなのかしら。

この場所がなかったら、私が拙くても文章で表現する力がなかったら、大変なことをしそうだったかな。

これまでにないほどに、すべてのことに疲れてる。私の弱さが全部出てる。