[*[独り言] ]業の肯定

表題は、先日からずっと記事にしたいって思っていた言葉だった。

今月に入ってから二回目になるんだな。元同期の訃報をまた聞くことになった。

ちょうど仕事でちょっとしたトラブルがあって、対応をしようとしていた所だった。ほんの数時間前の話。
その時、仕事なんてどうでもよくなったし、特に人同士についてのトラブルというのは、いつも馬鹿らしいって思って対応をしているのもあって、なおさらやる気がなくなった。

生きているだけで御の字なのに、この人達は何をそんなにムキになってるんだろうって。後から悪あがきをするくらいなら、最初からきちんとしていればいいじゃんって。

真面目に仕事している私にケチつけてきてさ。何が怖いんだか。私を陥れようとしてでも守りたいものがあるなら、最初から真面目に真剣に仕事して、誇れるように生きて、堂々と私の目の前でその嘘を言えるのかやってみてくださいって言いたい。情けない人。悲しいな。その心の弱さは許すけど、仕事としては許さない。

こんな気持ちは、今月二度目。あの時も業の肯定かぁ、とかって思いながら、自分自身を守ろうと頑張っている人を許した。でも、仕事としては許さなかった。

そんな風に考えられるようになったのは、紛れも無く父が死んでからだ。喉もと過ぎれば熱さ忘れるとは良く言ったものだなと、父が死んでから毎年事あるごとに自分自身を振り返ってきた。

立派に生きたいとも思わないし、この頃は人からどう見られてもどうでもいいって思うようになった。業の肯定っていうのは、こういうことなのかなぁって。なんとなくわかりかけているので、それをちゃんと文章にしようかなとか思ってた。

そうはいっても、曲げられない事はある。
いや、今はこんなことを書いていても、そんな信念すらも、何だかどうでもよくなるような。

スーパームーンが綺麗だとかってのを記事にしようとしていた矢先、思いもよらないことになっていた。