一番大切なことは

ゆうべは雲の隙間から、一瞬軌跡を描いたように流れ星が見えたんだけど、ちょと怪しい。その後も雲間をじっと見てたけど、1時間でギブ。今夜再度試してみようかな。

お昼寝から目覚めると、スマホには訃報の通知が。

はなまるマーケット、毎朝見てたなぁ。面白かった。朝起きてすぐTBSつけてた。つまんないワイドショーばかりだった朝の番組の中で、唯一最後まで見れる番組だった。岡江さんのキャラクターは憧れた。

 

あれこれと理屈を並べている人が多すぎる。普段は比較的理詰めで物事考えてる私だって、事の重大さと、そのためにどうすべきかはさすがにわかる。

どんなことだって、人の命より重たいものは絶対にない。絶対。

経済がどうのだの、何かがどうのだのと理由を探しては、今の大変な情勢から目をそらしてる人が多い。

もっとシンプルに考えるほうがいいと思う。

前代未聞の未知のウイルスに侵されるかもしれない中にいる。それは自分が誰かに感染させてしまうかもしれない。言い方変えれば殺人になる。はたまたなんの罪もない人の命を奪うかもしれない。

「かもしれない」は前向きに考えたら「そうではない可能性もある」とも置き換えられる。だけど、これまでを見ていたら、そんなふうには考えられない。

あと1か月半くらいで、手持ちのお金がすべてなくなる計算の中、それでも私は外へは出ない。極力人との接触は避けてる。「いち早く仕事をしなくてはいけない」とか、「どうにかして収入を得なくてはいけない」という考え方は捨てた。

今までの自分が持っている知識をフル活用して、快適に生活できるようにしてる。たとえ気持ちが暗くても、たとえ先の事が見えなくても、それでも今を大事にするしかない。今出来ることをするしかない。

この先支払いが出来なくなったらと考えたら恐怖しかない。そうならないように今家の中で出来る事は全部やる。それでも生きていくのが難しくなってしまったら、その時はもうしょうがない。それが自分の運命なのだと受け入れる。

そもそも経済がどうのこうのって、人ありきなんじゃないのかな。すべて生きているから出来る事じゃん。それに、経済が回ろうが回るまいが、コロナウイルスに感染したら、そんなのどうでもいい。経済はウイルスを除去してはくれない。命を失ったらすべてが終わるのに。

家にいて、家の中で出来る事して、それが楽しみになるならより結構。楽しみが見つけられなくても、人間として暮らせるだけでいいじゃない。朝起きてご飯作って洗濯してお昼作って・・・って。それを飽きたとかつまらないとか、何を言ってるんだろう。

本当に大切な事を失くしてから気付くって、遅すぎるんだから。失くしてからでは取り戻せないもん。

 

私のブログを読んでくださっている皆さんくらいにしか発信出来ないけど、本当は拡声器で言いたいって場面に何度も出くわしてる。

家で過ごそう。それだけでいいんだから。