やっぱり雨の日

今日が父の命日だったけど、先週お天気が良い日にお墓に行っていたので、今日は家でまったり。

連勤の疲れを癒すにはちょうど良い大雨のお天気で、寝るしか選択肢がないってのが最高!訳ありで細切れ睡眠だったけど寝れたので良かった。

父が亡くなった時も小雨が降る肌寒い日だった。

世間の大型連休中に容態が変わって、息を引き取るのはもう時間の問題だと言われてからはほぼ病院の中で過ごしてたっけ。

亡くなった直後から告別式までは、とにかく忙しくて1人でやることばかりだったので大変だったという思い出が強く残ってる。

事前に葬儀屋さんと打ち合わせしていたので、あれでもだいぶスムーズだったんだけど、叔母たちに宿を取ってあげたり、こまごまとやる事も多かったのよね。

あの時の教訓を生かして、母の時はもう少しちゃんとできるかな。といっても、母の場合はおそらくより小規模な家族葬になるだろうから、どっちかというと提出する書類関係に必要な印鑑とか書類とかを母の家の中から探し出す事が一番大変だと思う(^^;)

ま、あと5年以上は生きている気しかしないので、私が先に逝くとかもアリだと真面目に思ってる今日この頃。あれだけ生に対する執着が凄いんだから、そう簡単には死なないと思う。

毎年この日は亡くなった日の事を思い出してしまう。息を引き取る瞬間を見届けた時の事とか、その後1人で家に帰って、どうしようもないような疲れと虚無感でいっぱいになってた事とか。

当時一緒に暮らしていた彼は出張と偽ってずっと家に帰ってこず、とうに他で家庭を持っていたのすらこの時はまだ知らず、彼に父が死んだと連絡してみたのに「あ、そう」という一言だけで終わった時の悲しさも忘れられない。

先週父の墓前で「やっぱり私はここには入りたくない」と思わず言いそうになった。父と母は一緒でいいけどさ。

私はおそらく死んでも誰にも気づかれないだろうから、このお墓の場所とか伝えることなく、共同墓地みたいなところへ運ばれて終わるのがいいんじゃないかな。

父親がこの世からいなくなった事が、これほど自分自身に変化をもたらすだなんて、想像できなかった。

あれ以上の悲しい事なんてないから、っていつも思うようになってからは、変な耐性ついちゃったし、親族のドロドロしたくだらないバトルをしてからは、対人関係のストレスを感じづらくなったし、感じたとしてもくよくよ悩まなくなった。

父がきっかけだなんて、なんて皮肉なんだろうと、父が生きている時からそうやって自分をしっかりと持っていれば、もっともっといろいろな事が上手く立ち回れたのにって何度も思った。

先週母に電話してお墓に行ってきた事を伝えた時に、めちゃほっとしている様子だった。自分が行けないから気にしていたんだろうね。毎月行ってた人が、もう何年も行けないでいて、これから先も行けないだろうから。

車いすとか使えば問題なく行けるんだけど、そういう文明の利器を頑なに拒否するからさ・・・何もできないんだよね。

セグウェイ乗りたい!って我儘で無茶を言うくらい、一人であちこち行きたい思いとか、誰かに連れて行ってもらえないから行かないという考え方が変わってくれたらとか、いつも思ってる。所詮は叶わない私の中の理想の母親像だけど。

はー、いかんいかん。またドツボにはまって抜け出せない堂々巡りしちゃう。こんなんじゃ蕁麻疹が治まらない(+_+)

実は数日前から、めっちゃ蕁麻疹が酷くて眠れないくらいなので明日病院行くことにした。薬が切れるともうだめ。それもこれもすべて今飲んでる薬の副作用なんだとわかってはいるけど、このままでは睡眠不足が続いてやばいぞと。