すっかりアップが遅くなり~でも年内に出せて良かった(^^)
当日、横アリに入場するとすぐに手渡されたのは、このツアーがお初ではないかというサイリウムだった。小田さんのライブでこういうのを使うことになるとは!時代よね~w
今回の席はセンター席で、しかも結構良い席!(^O^) ステージが肉眼でしっかり見えるし、花道が近くて今コンタクトレンズを入れても両目で0.8くらいしか視力が出てない目でもちゃんと見える距離!!
サイリウムの使い方をしっかり読み込んで開始時間を待ってた。こういう時に限ってポケットとかない服を着てたりする(^^;)強引に腰に差し込んでスタンバイ♪
左のは使用済みの。持ち帰ってきてとりあえず撮影しておいた。
(セットリスト)
01.風を待って
02.会いにいく
03.愛を止めないで
04.秋の気配
05.やさしい風が吹いたら
06.水曜日の午後
07.言葉にできない
08.たしかなこと
09.キラキラ
10.so far so good
11.やさしい雨
12.Yes-No
13.ラブストーリーは突然に
14.明日
15.ナカマ
16.生まれくる子供たちのために
17.今日もどこかで
18.こんど、君と
19.君住む街へ
(アンコール1)
20.またたく星に願いを
21.Yes-Yes-Yes
(アンコール2)
22.hello hello
23.やさしい夜
24.また会える日まで
(アンコール3)
25.my home town
1曲目「風を待って」のワンコーラス目でもう涙腺が決壊しそうに・・・
小田さんがいつまで歌ってくれるのか、もうこれが最後かもしれないから、そんな風に数年前から思うようになってた。
ライブ当日だって、つい始まるまでソワソワしてしまう。このご時世だもの。当日になって急遽中止とかってのも十分考えられるのじゃん。
また観れた。また目の前で歌う姿が観れた。ハイトーンボイスが聴けた・・・その嬉しさと安堵で胸がいっぱいになるんだろう。だから涙が出てしまうのかもしれない。
もはやセトリとかすらも関係ないくらい、何を歌ってくれても小田さんがそこで歌ってくれているだけでいいって思う。
オフコースナンバーを歌うのは、オールドファンへの思いもあるのだろう。平成になってから小田さんを知った人もたくさんいると思う中、50年前の曲がごく自然に演奏されているような。
今回水曜の夜に聴く「水曜日の午後」が、もう泣けちゃって困った。1973年リリースされたデビューアルバム「僕の贈りもの」収録曲。2人のオフコース時代のナンバーで、小田さん作詞作曲の歌。余談だけど私が好きなオフコースの歌、勝手につけた三種の神器の1曲でもある。
それをヤスさんがテレビで歌ってくれるという奇跡みたいな映像を前に観て、本当に感動したのを思い出した。てか映像あったし!
普段はあまり見なくなった「みんなのうた」も、小田さんの歌が、新曲書き下ろしと知って、それが流れると知ってからはめちゃ見た。ライブで聴いたのは今回が初めてで嬉しかった。
メジャー級のヒット曲の連発で、大盛り上がりの会場で、マスク越しについ口ずさんでしまう。いつの頃からか、Yes-Noはお約束のように会場で歌うパートもできたしね。
「君住む街へ」も、小田さんのセルフカバーで知った人も多いことでしょう。元々は88年のオフコースとしてのラストアルバム「Still a long way to go」からの先行シングルだった。PVがとても素敵で、TVKの番組で何度見ただろう。
ラストライブの武道館で聴いた時に、オフコース解散が悲しくて苦しくて、こんな前向きな歌受け入れられないって思いながら泣いていた事をいつも思い出す。当時を知るファンにとって思い出深い歌だ。この歌のドラマチックな構成で描かれる世界も相まって泣かずにいられない。それをまだこうして聴けるという奇跡に近い思いで、今では嬉しいという気持ちも加わった。
ご当地紀行は、今までのダイジェストだった。ツアー最終日の醍醐味なんだよね(^O^)
いつも変わらない小田さんの毒舌(?)に笑いがこみあげる。いろいろな地域でのいろいろな人達との交流をたくさん見られる。
横浜の映像は、自分が知っていてよく行く場所やよく見る場所も映る。小田さんいつ来たんだろうって、ファンな市民は思ってるよねwどこかで偶然遭遇するミラクルがどうして私には起きなかったのかと、いつも思う。
75歳で金比羅山のあの階段を上がるなんて、小田さんを見ていると年齢を忘れちゃうけど、75歳って、相当だよ?!
そりゃあ時々声が出づらそうにしてたって、高音の部分を歌わなくなったって、いくら何でもそれは小田さんに求めすぎだと私ですら思う。むしろ75歳であそこまで歌えるなんてすごいよ。何度か小田さんのことを怪物だって言ったような記憶があるけど、今回だって怪物感出てたよ。
もはや、ステージに立っていてくれるだけでいいもん。小田さんすごく真面目な方だから、そんなこと絶対しないと思うけど、極端な話、ステージでごろごろして、気が向いたらちょっと歌ってのライブチケットが1万円だって、別にいいって思うもん。
「hello hello」は、久しぶりに聴いたらすごく染みてしまって、また視界が霞んでしまった。後日友人の誕生日にプレゼントとして歌ってみた。その人がすごく苦労して頑張ってる人だから、本心でこの歌を歌えた。
実質ツアー最終日のようなものだったからか、地元横浜最終日のお約束のような、暗黙の了解のようなmy home townのフルバージョンを歌ってくれた。
やっぱりこの歌はフルで聴かなくちゃ。「どんなに離れていても またいつか来るから」この部分を聴いて、やっとライブが終わるなって思えるほどには、すっかりラストナンバーとして定着してる。
長丁場の連続で、小田さんの疲労度は大変だっただろう。途中コロナウイルスにも罹ってしまい、厳しい暑さの夏を越えて、ツアー最終日まで走りきるのは容易じゃなかったんだろうな。
実際にファンクラブの掲示板に出た小田さんのコメントで、結構タフだったんだろうなと感じさせる言葉が並んでいた。
転載していいかわからないし、コピペできないからやめとくけど、来年追加公演を決めたように、もう少しできるかもしれないと本人が思っている事はわかった。しっかりスクショしときました。
もう無理はしないで欲しいと思う気持ちと、また横浜で会いたいという気持ちが混ざる。
ファンの熱意は小田さんに伝わってて、それを返そうって思ってくれている。それだけで、そう感じてもらえただけで、私としては十分なのだ。
今回のツアーチケットは、執念だけで取れた気がするから、来年の追加公演は何があってもちゃんとチケ代確保しておいて、絶対に取る!行けるところは全部行く!( `ー´)ノ