それが安心につながる心理

どの世界も終わりはあるのはわかっていて、別に人命に限らず、日々の生活の中のふとした事や、長年周りにあったもの、事柄などなどについてだけどさ。それが節理というか、形あるものいつか消えゆくってのはどうしようもない事実だと受け入れるように・・・心の底から理解できるようになったのは、たぶん40代入ってからなのかなぁ。

身近なライトめな話でいくと、某コンビニのお惣菜やスイーツはハズレがほとんどなくて、気にいって何度も買いたいなって思ったりする。でも、すぐに廃盤になったり、そうかと思えば地味にリニューアルというかバージョン変わりで似たような商品がいつも買えたりする。

いつも応援しているアーティストが突然病に襲われて活動できなくなったり、いつもライブで会えると思っていた人と会えなくなったりもする。

私の中の世界での話だと、好きだった競走馬が死んでしまうとか、もっと活躍すると思っていた馬が引退するとか、そういう事もよくあるけれど慣れたわけじゃなく、そういう事だって自分の中で受け入れるしかないって思うっていうね。

そういう思いの中で今年に入ってからは受け入れる準備をしてきた事があった。ここで時々登場する大好きな騎手である幸くんと同じくらいファンなイタリアの名騎手であるランフランコ・デットーリの引退(T_T)

先日の凱旋門賞も含めて、海外のビッグレースにデットーリが出てくるたびに、今年は特に1つでも多くGIを勝って欲しいという思いでいた。

そもそも、なんでデットーリが大好きかっつーと、さかのぼること98年?のジャパンカップの時。

ステイゴールドの応援で府中に行っていた私は、ステゴが出る日はパドックかぶりつきでひたすら写真を撮ったり、ステゴを眺めたりして応援ビームを送り続けていたんだけど、その時騎乗命令かかってデットーリが馬(誰かは忘れた)にまたがった時、デットーリと目があって、ウインクされちゃったのーーーー(´▽`)

そこで「うわっ(照)」って思ったけど、笑顔を返す事も出来ず、イタリア語で「頑張って」という言葉も浮かばず、ただ黙って硬直して以来、デットーリ大好きになった<単純w

その後、いかにデットーリが凄いかを思い知ることになり、ますます好きになってしまった。

だからワールドジョッキーズシリーズが府中で行われていた頃とかは、絶対観に行ってたし、海外競馬のチェックもデットーリがいるからより真剣に見るようになったのじゃん。

でだ、さっき帰りの電車で「デットーリが引退を撤回」というニュース記事を見て、思わず電車の中で声出しそうになった(*´Д`)

デットーリ現役続行めちゃ嬉しい!\(^o^)/ まだ彼の活躍を楽しみにしていられる!

しかもアメリカを拠点にするってのが最高に驚いた。ダートで追うデットーリをもっと見れるんだよね。あぁ、行きたいなぁ・・・

・・・などと思っていて、ふと考えたのよ。

この年になると、十代の頃とかに慣れ親しんだことや、若い頃から好きなものが突然出てきたり、誰かの話で見聞きすると懐かしさこみ上げる事が増えるわけだけど、懐かしさ=安心感なんだね。きっと。

ここ数年でよーくわかった事があったんだけど、それは人は知らない事に対して恐怖心を感じるという事だった。

年々そういう気持ちって増すらしく、脳内もだいぶ固くなってくるとその傾向はより強まるらしいよね。

でもそういう人だって、自分の子供の頃に好きだったことについては熱弁しちゃう。良く知っている事は安心して話せるから勢い良く口から出てくるってことよね。

私は昔の事ばかり懐かしんで先に進めないのはヤだなって思う心理と、昔から変わらず好きな事はずっと大事にしたいなって気持ちがいつもあって、この相反するような思いは何なんだろうって自問することが多い。

オチのない話で恐縮だけど(^^;) デットーリの事が嬉しくて思わず脳内で思った事をただ文字化しただけの記事という(;'∀')

よーし、明日も頑張るぞ!!!S社の話はいずれゆっくりと。