[*[好きな音楽] ]2013年最後に

中・高校生時代の、一番多感で吸収の良い時期だった80年代に、さまざまなアルバムアーティストを知り、テープが伸びるまで聴いて、その後CDで買いなおして、ということを、これまで繰り返してきた。大瀧詠一もその一人。ラジオか雑誌かアルバムか、そのいずれかでしか会えない人だった。

今年は自分が好きなミュージシャンの訃報が多かった。まさか大晦日までとは。
誰も人が死ぬ時期なんてわからない。誰かが死ぬ時、心の準備は出来ないことがほとんどだから、薫さんが亡くなった後からは、特にこういった気持ちに折り合いをつけることを考えようって、頭では思ってた。

午前中、テレビをつけながらパソコンを使っていたら、北関東で大きな地震があった。そのままNHKをつけ、続けてパソコンを使っていたところ、Yahooトップ記事に驚きを通り越したニュースが見えた。その後テレビからも同様のニュースが聞こえてきた。「ミュージシャンの大瀧詠一さんが急死しました」

大動脈解離で亡くなったという話だった。

この方がいなかったら、「はっぴいえんど」がなかったら、今の音楽シーンは別のものになっていただろうと思うくらい、多大なる影響を与えたと思う。ナイアガラシリーズや、それ以外でも関わってきた数多くのミュージシャン達、たくさんのファン、みんな、このニュースが2013年を締めくくるとは思わなかったよね。

誰だっていつかはこういう時が来るから、落ち込んではいけない。同じような悲しみはこれからも続くから、絶望してはいけない。ただ、突然過ぎる事に慣れていないから、わかっていてもきっとずっと慣れないから、思うことはひとつだけ。

今でも思い出す、1984年にアルバム「EACH TIME」が出た時、アルバムは買えなかったので、従姉妹にダビングを頼んだこと。そのテープを更にダビングして人に貸したこと。「ペパーミントブルーいいよね」って友達と話したこと。FMのオンエアチェックをして、少しでも彼の音楽に触れる機会を増やしていたこと…杉さんや、安部さん、達郎、さまざまな方が何かしらのトークで出す「大瀧さんが〜だった」という内輪の話が楽しかった。

2014年は、この「EACH TIME」が発売から30周年だったので、何かやるだろうな、と思っていた矢先だった。ブログのネタとして書こうって思っていたのに…

彼の音楽に触れている時、私たちの心は、きっとキラキラしていたと思う。その気持ちはずっと心の中にある。同じ時代にいられたことは、本当に嬉しいと思った。素敵な音楽が聴けて嬉しかった。それしか浮かんでこない。


大瀧詠一 ペパーミントブルー



今年も閲覧ありがとうございました。アクセス数を見ると、本当に嬉しいです。2014年も宜しくお願い致します。


大瀧詠一 EACH TIME


EACH TIME

EACH TIME