[*[独り言] ]10月りゅう座流星群

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今日は10月りゅう座流星群(去年はジャコビニ何とかって言われてた)が見えるというので、いつものごとくはりきって外へ。
今日は月が下弦で、流星群を見るには邪魔されなくていいなぁ〜って思ってたのに、空は雲が切れなかった。夏とか真冬みたいに「もう体力が限界だ〜」とか思わない気候なので、1つくらいは見えるまで待ってみたくなって、いつもの観測ポイントへ行った。雲が切れなくて、流れもゆったりで、首が疲れたと思い始めて30分位経過…
雲の隙間から流れる軌跡はでかくて、はっきりしていたので、間違いなく流れ星だと確信した。相変わらず流れ星って綺麗。もっと見たかった。結局1時間で1個だけで終わっちゃった。

今日は朝から研修があって(そのうち何かは書けると思う)何だかイラッティMAXになってしまった。
私も表面的な情報だけだと、十分過ぎるほどいい大人だけど、自分以外の大人達を見ていて、今日は何だか思う事が多すぎた。「酷い大人やん」って、批判的な気持ちが多くなってしまった。大人になるという事を、ただ年を食って恥ずかしく生きて、それを自覚までしていながら、甘えまくっているアホみたいな大人と一緒にいて、エネルギーを吸い取られた感じが強かったのかもしれない。
人は長く生きてきた分、培ってきた事が増えてくるから、固定観念とか思い込みが強まっていくのはありえる事で、自分もそうなのかもしれない。許せない事とか、譲れない事とか、増えてきて当然だとは思う。そして誇りを持って生きる事は、尊い事だと思う気持ちは変わらない。
ただ、誇りというのは、捕らえ方次第ではただの驕りになって、プライドという名のくだらないこだわりにしかならない事もあるのではないかと思うですよ。
時々、「プライドって2種類あるよね」って、私が話したのを直に聞いた方が何名かいると思うんだけど、まさにそういう事で、誇り高く生きる事は、気高く生きるという事であって、家柄がどうのこうのとかっていう浅い問題じゃない。また、自分の能力を自慢して自尊心を満たすとか、自信過剰である事ではない。自分の生き方とか考え方も定まっていないのに、自分を守る道具としての「プライド」というものを持とうとするから、「プライドを傷つけられた」とかって言うハメになるんじゃないかと思う。そんなちっちぇえプライドなんて、ない方がいいんじゃないかって思う私がいて、それを口に出せないってのも、なかなかストレス溜まります。
そもそも、この「プライド」って言葉自体は、良い印象はない気がする。ざっくりと否定的なイメージを相手に伝える時には、端的でわかりやすいかとは思うけど。「Kocrispさんて、プライドが高いわよねぇ」とかさ(笑)

ま、こうしてストレス溜めていくと、そのうちやばいわ〜なんて思った後の流星には救われました。