サポートという意味

今日も母と長電話。しかももう私もどうしたら良いのかわからなくなってきた。

今週の頭くらいだったか(もはや記憶薄し)、R社勤務中に地区センターのEさんから何度も着信が入ってた。留守電やショートメールも入っていて、「ご相談したいのでいつでも良いから電話ください」みたいな内容だった。

この頃サービス残業しているので、以前Eさんに言っていた「18時以降はいつでも話せます」とかってのが守られず。

で、トイレでこそっとショートメールをして、仕事が終わったら電話するとかってやりとりをして、帰宅後すぐ電話をした。

Eさんの相談とは、母が今月の掃除やお風呂のデイサービスを全部断ったけど、その分私に負担が行くのを懸念していたことと、料理についても母から問い合わせがあったけど、その後断られたが、どういう方向で母と関われば良いか、みたいなことだった。

全部断った理由をEさんが尋ねると、今すごく具合が悪いから外へ出たくないし、他人を家にいれたくない、と言ったそうで。だからといって母の都合に合わせて世の中は回っていないので、次の予約もなしでこのまま2月が終わって良いのか、私に了承を得たかったんだって。

いいんじゃないですか、母がそう言ってるわけだし、そうすることで次にいつお風呂利用できるかもわからないし、お掃除に来てくれる人の予約も思うようにできなくてもしょうがないですから、って言った。そしてその負担は全部私に来ることは正直困ると伝えた。

困るっていっても、母の我儘は今に始まったことじゃなくて、みんながそれを許してきたんだから。しょうがないとは思わないし、だからといって私が何があっても母のサポートをする、なんてのは無理だ。

母が一番いけないと思うのは、あまりにも世間知らずなせいで、こういった介護保険が民間のサービス業とは違う事を理解してないことで、口で説明しても彼女の脳内では、彼女の良いようにしか解釈されないから、思うように周りが動かないと文句ばかり言うことになる。そして、何をしてもらうにしても書類での手続きが必要で、何日もかかるのも役所ならではなのに、言っても理解しておらず文句を言ってる。

サポートとは、丸ごと助けるものじゃない。母は、一人で最後まで今住んでいるマンションで終えたいと言った。誰かがいると気を遣って休まらないから、自分の思うようにやりたいから、という理由も聞いた。

我々は母が一人ではしきれないことを手伝うけれど、基本は一人で生活していくことが前提になる。一人で暮らすとはそういうことだ。

母の本音は、全部一人でやりたい、でも身体が思うように動かない。それでも誰かに自分の思うようにしてもらえないなら頼むのは嫌だ、だろう。むしろそうやって社会とのつながりを自ら断ち切りたいなら、それもいい。

衣食住の最低限のことを誰かが手伝うだけなら、たいした負担にも感じなかったと思う。

一人で自由気ままに過ごす中で、気が向いた時に誰かがスっと手伝ってくれる、なんて、そんなうまくいくわけはない。

何より、人への文句が多すぎる。何に対しても自分の思い通りにいかなければすべて口に出す。そのはけ口が私しかいないから、全部私に振りかかる。

Eさんのことも相当文句を言っている。さっきの電話でもそうだった。でも、Eさんは母専属のお抱えメイドじゃない。母以上に重度の介護レベルの方のケアに時間や労力を使っているに決まってる。

さっきは、そんなに体調が良くないなら、往診してもらえる先生を手配してもらうと伝えた。でも、過剰に大きな声を出して拒否された。「あんたなんかに私がどのくらい体調悪いかわかるはずがないくせに、私は自分の身体とずっとつきあってきてんだからどこが悪いかなんて医者に診てもらわなくたってわかるのよ!それに医者だって他人なのに、他人を家に入れたくないって言ってるのに、なんでそんなことを言うの??」って言われた。はー、理由は後半のところだけな。

そして結局明日私は仕事終わりに母のところへ寄ることになった。もともと去年冬用の肌着を買ってくるように頼まれていて、買ったから宅急便で送ると言ったらめちゃ拒否された。宅急便が来る時間帯に待っているのが苦痛だからという理由で。

身体が思うように動かなくなってきたので、チャイムにすぐ反応しないと宅配の方が帰ってしまうのが嫌で、時間指定した2時間を立って待っているというから、そんなのやめなと言っても言うことを聞かず、指定時間を1分でも過ぎたら大激怒してしまって手がつけられなくなり、何度宅配センターに電話したか・・・いやはや申し訳ないとしか言いようがない。某宅配便の営業所と同じエリアに住んでなくて良かったとマジで思う。

そういうのがあって、これ以上母がらみで私があちこち謝罪行脚に出るのはもう辛いので、だったらさくっと肌着持っていって、すぐ帰ることにしようと決めた。

「来るならついでに」と買い物をあれこれ頼まれた。でも仕事の後に寄るんだから、いつもの母好みの食材があるお気に入りのスーパーには寄らないと言った。無理して寄ることはできるけど、もうそこまでしない。

これだけの話をするのに、90分近く電話してるって異常だと思う。Eさんからは「お母様はいつも昔のお話をされて、聴いているとあっという間に時間が経っちゃうんですよね」「昔の(歌手時代の)ことを自慢して、褒められたいというか」とか言ってた。

母は母なりに、周りに迷惑をかけていると多少は思っているけど、それでも基本的なかまってちゃん精神は年々悪化してる。

長年のお嬢様気質も相まって、世界は自分だけのために回っているという意識が強すぎるのを、身内以外にも堂々と出して、そしてみんな去って行ってしまう。

友達の一人でもいれば、違う世界を見る機会もできて、私たちの心労も少しは楽になるのかもしれないけど、私が子供の頃から母が友達という存在と何かしているのを見たことがない。

一時はこういう思いのままで母を見送るのは辛いから、何とかしてみようと思ったけど、もう私も腹をくくるというか、決めようと思った。

それは・・・母の我儘には今まで以上に意識して出来る限り付き合わない。それで母の親族から何か責められてもいい。母が死んだら縁を切っても、今までもそうだったように、私には何の不都合もない。

母が亡くなったら何をするかについて、考えるのはだいぶ早そうだけど、不謹慎ながら必ず来るその日のことを、罰が当たりそうなほどの思いで待っている自分がいる。

その反面、母が少しでも何かに気づき、周りと折り合いながら暮らそうと思ってくれる日があったら、という期待も捨てきれない。ほとんど望み薄なのに(^^;)

そんな祭日、あっという間に一日が終わる。明日はまずは仕事をしっかりやらなくては。