永久保存版にしたい

今日も今日とて、五輪見ている時間が多かった。サッカー、柔道、野球、ゴルフ、見ごたえあるし、時間があっという間に経っている。

今回は・・女子バレーボールがさ~~~ 言いたいことは山ほどあるけど、まだ終わってないのでやめとく。

どんな競技も負けると悔しいんだけど、とりわけバレーボールは相手国によって悔しい加減がなんか違うんだよね。今日はめちゃくちゃ悔しい。

で、このところ記事化をさぼっている100分で名著だけど、今月のは本当に興味深くて見入ったし、テキストもゲットした。

あ、4月の渋沢栄一、5月の三島由紀夫も面白かったなぁ。できるだけ毎月記事化せんとなぁ。

 

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暑さで集中力が欠けちゃって、まだ全部きちんと読めてないので、しっかり読み込みたい。

この頃私の周りは、老いに関する話題が多いし、私も母親の老いによって起きた様々なことに日々向き合ってる。

職場でも更年期だの老化だのと、何かとそういう話題になるし、若い子が多いのもあって、自分に若さはなくなっている事に気づく場面が多い。

老いとは「終わること」ではないはずだし、後ろめたさを感じる必要もないはずで、それなのにそんな風に明るく思えない風潮が多い。

ボーヴォワールの言葉で、私のモヤモヤは消えていって、少しだけ楽になれた。人間という動物として生まれて、生まれたら死ぬまで生きることは誰にでも平等にあることで、その一生は常に前向きであるべきだと思う。

「高齢者」という言葉とその意味は、いや、この言葉はくくりというか、人間界に妙な境界線を作った。これって日本だけだと思ったら、他国でも昔からずっとそうだったんだってわかった。

老人という言葉のニュアンスはたいていネガティブなもので、自分自身がその老いを感じて周りからそう見られると、なぜか肩身が狭かったり、卑屈な気持ちになったりするのは違うんだって再認識した。

私は70くらいで人生終わっていいって考えてるので、今は軽めにカウントダウンしてるわけだけど、卑屈にはならない。申し訳ないとか、後ろめたいとか、そういう気持ちも持つつもりはない。私より年上の人に対しても、そんなふうには思ってない。

最期まで、人格をもって誇りをもって消えたいと改めて思った。そしてみんなも明るい気持ちで人生を終えられたら、終えられるような気持になれるといいのに、って思った。