思い出がかすんでいく

まさか、って思う人がほとんどなのではないかと思えるよね。言葉がないとか、いろいろ言い方はあるけど、ほんとにまさか亡くなるって思わなかった。

今朝の志村けん死去のニュースで、ショックという言葉が当てはまるのかもわからないほど、衝撃を受けた。

物心がついた頃から、義務教育を終えるくらいまで、土曜の夜は父と8時だよ全員集合を見ながら大笑いして、月曜にはその内容を再度クラスメートが再現したり、笑いあったりしてた。それが当たり前の光景だった。休み時間にヒゲダンスでやっていたバケツに水をいっぱい貯めて振り回すとか、掃除用のモップとか使って東村山音頭1丁目の白鳥の衣装もどきをまねた子を見て、みんなでお腹抱えて笑ったこともあった。

大人になってからも、特番などで目にする機会は多く、日本のコメディアンといえばこの人と思い浮かぶ名に間違いなく入るような人。当たり前のように見ていたので、見れなくなる日が来ることをそもそも考えてなかった。

よりによって、流行性の伝染病であっけなく死んでしまったなんて、これは受け入れづらい。

どうでもいい番組を放送しているくらいなら、この先1日中これまでの志村けんの出ていた数々の番組の再放送をずーっと流してくれるほうがよっぽどいい。それだけのストックはあるでしょ。

そういうの見たら、ついついみんなで笑わずにはいられない。現に今日もテレビを見ていても、ひとみばあさんや変なおじさん、バカ殿などの映像が映ると、条件反射的に笑ってしまった。不謹慎とかそういうのじゃなく、条件反射的なの。それくらい、もうあのギャグが頭に染みついているから、映像が出ただけで笑っちゃう。こんなすごい人、いなかったと思う。この方のおかげで私はどんだけ笑っただろう。

大人になってからは、コントをしていない時の彼を見ていると、真面目さが目立つ方だなと思ってた。と同時に、色気があるなって思った。

ドリフターズの中で最年少の志村が亡くなってしまって、残りのメンバーの喪失感は計り知れない。

私は、今日は幼少期の思い出が一気にかけめぐった。今はすぐ父のお墓に出向けないけど、本当はすぐにでもお墓の前に言って、思い出話をしたい気分だった。

皮肉にも、これが起爆剤になって、人々が何をすればいいのか考え直すきっかけになればいいなとしか、今は考えられない。