独りで穏やかに

叔父のいる病院に行ってきた。とっても綺麗で、設備が整っている緩和ケア病棟が専門のところだった。

 

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緩和ケア専門だから、最低限の点滴とかはあるけど、基本的には薬物投与はなし、延命治療はなしのところ。ここが、叔父にとっての終の棲家ということかな。

個室で完全介護な環境らしく、何より清潔感にあふれたお部屋にびっくり。でも、人の気配がなくて、叔父は1人、酸素マスクをつけて大きな呼吸をしていた。昏睡状態なのか、寝ているのかわからなかった。

話しかけても大きく呼吸する音が聞こえるだけで、手を握っても反応はなかった。枕元にはCDプレイヤーと数枚のCDがあった。今ぐらいの時期は毎年第九を歌ってたんだもんね。

挨拶だけでなく、少しだけ叔父さんに話しかけた。来るのが遅くなってごめんね、独りで頑張ってたなんて知らなかった、ごめんね、私の父の(入院中)時に来てくれた事を思いだしちゃった、って。

普通はこうやって、昼間は学校や仕事とそれぞれの優先すべき生活をして、病人は黙って寝ているしかなくなる。私はあの時、まだただで住める家がギリギリある時だったし、仕事しなくてもかろうじて何とかなっていたから、看病中心の生活ができた。寝てなくても食べれなくても気力だけで乗り切れた。父がきちんと死ぬための手伝いが出来て、独りで臨終しなくて、最後の最後まで一緒にいれた。

そう思ったら、私はなんてラッキーだったんだろう。そして父も同じく、なんてラッキーだったんだろう。

そんなことを思いながら、叔父を見ていた。かわいそう、という気持ちは少し違うけど、誰でも死ぬ時は独りとはいえ、こんな風に昏睡状態になっているのに、誰もそばにいないなんて、叔父さん寂しいよね。

手をさすりながら話していたら、閉じている叔父さんの目元から涙がじゅわーって出てきた。きっと聞こえてるんだろうな。良かった。「今までいろいろとありがとう、どうか頑張り過ぎないで、でも頑張って」って、言ってしまった。

父の時を思い出した。亡くなる前の数日間、意識が朦朧としているような時でも、人の五感の中でも聴覚だけは最後まで残るって知って、返事が出来なくても意識不明になった父にいっぱい話しかけたし、周りにもそう言ったし、好きな音楽も聴かせた事を思いだす。

病院を出て、まだ私は10年前のいろいろな事を思い出してた。早いようで長い10年だった。毎日繰り広げられる周りの出来事に、怒りと悲しさとだけ貯め込んで、父の事だけ考えるようにしてた。

そういう人は叔父にはいないんだな・・・

あっ、思い出しちゃった。そんだけ辛かったのに、お酒に手を出さなかったあの頃の私って、めちゃくちゃ偉いじゃん。10年前の私を褒めてやろう。今じゃちょっとイラつくとすぐ飲んじゃうくせに。