映画「Joker」を観てきた

おとといからのトラブルは、少しの間続きそうだけど、今日は前々からジョーカーを観る予定だったので、昼間しっかり観てきた。

観終わって、なんて言ったらいいのかわからないほど、重たくて暗くて、苦しい気持ちになった。その後仕事はしたけど、いまだにその重たさが辛くて、早く普通の日を取り戻そうとか思ってる。去年はボヘミアン・ラプソディで感動の涙を流したのにな(^^;)

先月から未だに続く上映が物語るように、多くの人がこの作品を称賛しているようだけど、果たして日本人の私たちが、どこまでこの映画の本質を読み取れるのか、ってのは気になった。

観終わっての感動はなかった。涙は違う意味で出た。苦しかった。早く穴掘って叫びたい。

というわけで、遠慮なしのネタバレしかしないので、しばらく改行しまーす

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このくらいで。

 

この作品の吹き替え版がなかった事は、観終ると「なくていい」「無理だ」って思えた。きっと日本の声優さんではあの演技は吹き替えられない。

舞台は80年代くらいのアメリカの、貧困が激しい社会そのもののようなゴッサムシティ、スラム街のような、社会的に地位のない、社会的に底辺の人たちが住んでいる街。

開始からいきなりむごい場面が出てきて、ホアキン・フェニックス演じるアーサーに降りかかる、理不尽で不幸な出来事の数々に、ただただ「ただ普通に一生懸命1日を生きているだけなのにどうしてこんな目に」という同情に似た気持ちで観ていた。

困窮する貧困層を救うどころか、社会はそういう人を見捨てていた。すさんでいく街の人の心は、より弱者を見つけてはうさばらしをするという悪循環で日々をやり過ごすしかないようだった。持っていくところのない怒りや理不尽さの積み重ねで年を取るような生き方を強いられているなんて、私がその立場になったら、もうこの世にはいないと思う。

何の前触れもなく、偶然は必然という私の考え方を否定したくなるような場面、ろくな食べ物もなくガリガリにやせ細りながらも、常に母親思いで、道化になって周りをハッピーにしたい、笑顔にしたいというひたむきさ、それなのに簡単に裏切る無情な同僚、むちゃくちゃなブラック企業のボス、疾患で笑うつもりがないのに笑ってしまうせいで、さらにアーサーの心の闇が濃くなっていく。

アーサー自身、脳障害があって、急に発作が起きて(私にはシリアスな場面になるとだと思ったけど)笑ってしまい、止める事ができず、半分泣きそうになりながら笑う表情は観ていて辛かった。というか、そう思わせたホアキンがすごいのだけど。

福祉サービスの面接官は、アーサーの話を聞こうともせず、ありゃカウンセラーでもなんでもない。彼女自身も病んでいるような暗さと、アーサーとの間の溝は、最後まで埋まらなかった。

アーサーが初めて人を撃った時、私は「そうだ、そりゃそうだ。やっちまえ」って思った。富裕層の残酷な仕打ちに報いるための、正当防衛だと言ってもいいって思った。執拗なまでに最後の1人を追いかけて、皆殺しにした後のアーサーのあのスローダンスの不気味さと、その中に見える喜びのような表情は、何だか清々しさを覚えた。

だけど、その後はかなり心が痛かった。

アーサーの脳障害が、実は妄想癖の母親が当時付き合っていた男から受けた虐待のせいで、2人そろってネグレストでアーサーは心身ともに大きな傷を負ったのだ。

見かねたトーマス・ウエインがアーサーを養子にしたけれど、結局未だに頭がおかしい母親のせいで、アーサーはこの事実を知るまで(おそらく相当長いこと)母親の話を信じてきた。それを知ったアーサーの心中は計り知れない。

事実確認をしにいったアーサーをトーマスがぶん殴るのはやりすぎだなとか思いつつ、あの息子くんが、のちのバットマンだということで、相当なトラウマになってしまうんだなって、スーパーヒーローの生い立ちは悲しかったんだなって思った。本来は戦う相手じゃなかったはずなのに。恩を仇で返したジョーカーに苦しめられるバットマンなんて、アメコミってほんまに闇が深いなぁ

とはいっても、どこまでがアーサーの妄想で起きた出来事で、本当に起きた事はどれなのか、よくよく考えていくとわからない。

恋人ができて、初めて心のよりどころが見つかったと思ったら、それはアーサーの完全な妄想だったし、憧れのマレー・フランクリンの生放送中に客席で脚光を浴びたのも妄想だった。恋人とのシーンは、観ていて唯一ほっとできる場面だったのに、このがっかり感たら!

デニーロの死体役も、大物がやると上手いような気がしちゃって、あの瞬殺ぶりはすごかった。あの展開が本当に驚いてしまった。てっきりアーサーがノックノックコントして自分を撃つと思ってたから。私ったらすっかり話に入り込んじゃってるなと、ふと我に返る場面だった。

劇中に流れる音楽も、シーンに合っていた。チャップリン「モダンタイムズ」のSMILE、クビになった時タイムレコーダぶっ壊してる時流れた曲、ショー本番に向けて身支度する時にかかったThat's Life、Endingのシナトラ、ぞくぞくしてしまった。

何と言っても、一番鳥肌が立ってしまったのは、アーサーがパトカーに乗って車窓から荒れ狂う外の様子を眺めていたシーンでかかるCREAMの「White Room」 イントロがかかった時、私の鳥肌がピークだった。

こんなにこのストーリーと合う曲があったなんて、この曲ははるか昔のヒット曲なのに、まるでこのシーンの為に作ったんじゃないかって思うくらいだった。

初めて、病的ではなく心から笑っていたように見えた、群衆の中で踊るアーサー、あの瞬間がジョーカーの誕生だと思った。笑い方があんなにバリエーション豊富で、そこで喜怒哀楽を表現したホアキンに、ますます感心した。

ほんの少しだけ、私には共感できる部分はあった。大切な人を失ったり、信じていたものがなくなったりしても、社会が見捨てなければ、人間どうにかして生きていけるというところだ。生命維持するための最低限の部分さえ、社会が認識してくれていたら、どうにかなる。

その唯一の社会のよりどころすら失くした時、明日がまったく見えなくなる目の前の濃霧のような襲い掛かる絶望感を、ホアキンは本当に上手く演じていた。

どれだけ人を殺しても、どれだけ苦しめても、もうアーサーの崩壊した心は元には戻らない。でも自分自身を殺めもしない。やっと自分という人間を周りに認められたわけで、やっと居場所を見つけたんだもんね。

でも、アーサーのような人が蔓延していたあの街で、正気なままで一生懸命生き続けている人もいた。特に同僚の小人の彼のような人が、どんなに邪険に扱われていても、毎日頑張っていたと思う。グレずにずっとアーサーに優しかった彼に対して、お前は殺さないとか言いつつ、脅かしたり届かない位置の鍵をかけたりと、ちょっとやりすぎじゃないかなって思った。

アーサーのような人が街中に大勢いて、ゴム風船がパンパンに破裂する寸前くらいまでに膨らんでいるかのような状態ではじけた後、ゴッサムが火の海になって、そして、それからどうなってしまったんだろう。

ラストシーンのおちゃらけたような「THE END」のロゴがすごく気になった。まるで今までのすべてがジョークであるかのようだった。そして、血まみれの足あとはいったい?あの面接官やっちゃったの?それとも、他の人?あのシーンは、逮捕後なのか前なのかもいまいちわからなかった。

私は世界史をちゃんと勉強しなかったので、アメリカの歴史についてほとんど知らない中で語るのも申し訳ないんだけど、植民地時代から開拓するまで、その後の格差社会ができるまで、アメリカ人の気持ちとか、どれだけ苦労したかとかという背景を理解できていたら、さらにこの映画を深く知れるのかもな。

こんなのほほんとした日本で、どうしてこんなに観客動員数が増えたのかわからないし、感動で心が揺さぶられるわけでもないのに、ジョーカーに魅せられる人がいるんだろう。幸せボケかな?それとも、みんな流されているふりをしているのに本当は疲れてきたのかな?

今夜はなかなか寝付けないかもしれないくらい、重苦しさが続く。これも幸せボケだという証拠なのかな。

ホアキン、本当に素晴らしい演技だった。フィクション作品で良かった。

 


Cream - White Room | Joker OST

 

 

Joker (Original Motion Picture Soundtrack)

Joker (Original Motion Picture Soundtrack)

 

 2019.11.8 2:11AM